SNSのタイムラインを眺めていると、一日に一度は必ず目にする言葉があります。
「え、待って」
これ、もうただの感嘆詞や装飾語の域を超えてますよね。なんなら新しい動詞になりつつあるというか、物事の前提に語り出すための「開始タグ」のような役割を果たしている気がします。
でも、常々思うのです。「待って」と言っている当の本人は、こちらが待つ間もなく喋り続けているじゃないか、と。
今回は、この不可解な現代の呪文「え、待って」について、少し意地悪く、けれど真面目に考えてみたいと思います。
「待機」を要求しない「待って」
本当に相手に「待ってほしい」のであれば、発言者は相手の動きを止めるためにアクションを起こし、自分もまた「相手が止まるのを確認する」というタスクが発生するはずです。
しかし、SNSにおける「え、待って」は違います。
誰も待っていないし、止まっていない
「え、待って。このコスメすごすぎる」 「え、待って。推しが尊すぎて無理」
この構文において、発信者は1ミリ秒も待っていません。むしろ、興奮のあまり前のめりに加速しています。
受け手である私たち(タイムラインの観測者)もまた、スクロールの手を止めることはあれど、それは「命令されて待機した」わけではなく、「興味を持って立ち止まった」に過ぎません。
つまり、言葉としての「待機命令」は完全に形骸化しており、そこにあるのは**「注目せよ」という強烈なフラグ立て**です。
「え、待って」はHTMLタグである
そう考えると、この言葉は日常会話の言葉というより、プログラミング言語やマークアップ言語に近い性質を持っています。
<attention>本当にすごいことが起きました</attention><important>聞き逃さないでください</important>
これらを、たった4文字で表現できる「え、待って」は、情報過多なSNS社会において発明されるべくして発明された、極めて効率的な圧縮言語なのかもしれません。
なぜ私たちは「待て」ないのか
では、なぜ「聞いて」「見て」ではなく、「待って」が選ばれたのでしょうか。
流れるタイムラインへの危機感
SNS、特にX(旧Twitter)やTikTokは「フロー型」のメディアです。情報は川のように流れ、一度画面外に消えれば二度と思い出されることはありません。
その激流の中で、自分の投稿に目を留めてもらうには、「おい!」と呼び止める必要があります。
「見て!」では弱すぎる。「聞いて!」ではスルーされる。そこで選ばれたのが、相手の行動(スクロール)を物理的に阻害しようとする言葉、「待って」だったのではないでしょうか。
無意識のうちに**「あなたたちの時間を、私に預けてください」**と懇願している。それがこの言葉の正体なのかもしれません。
枕詞としての安心感
また、発信者側の心理として、「いきなり本題に入るのが怖い」という側面もありそうです。
「このコスメが良いです」と唐突に断定するよりも、「え、待って」とワンクッション置くことで、自分の感情の高ぶりを演出できます。
- 客観的な事実:「この商品は性能が良い」
- 主観的な体験:「え、待って、これ良すぎない?」
前者は批判を浴びる可能性がありますが、後者はあくまで「私の驚き」という文脈になるため、心理的な防波堤になります。「待って」は、自分の発言に対する責任回避の防具としても機能しているのです。
「待って」の後に続くものは
タイトルにも書きましたが、「え、待って」の後に、本当の意味で「ものすごいこと」が起きる可能性はあるのでしょうか。
言葉のインフレと狼少年
残念ながら、多くの場合、その後に続くのは「想定の範囲内」の出来事です。
「え、待って、コンビニの新作スイーツおいしすぎ」 「え、待って、雨降ってきたんだけど」
日常の些細な驚きに「待機命令」という強い言葉を使い続けることで、言葉の価値はどんどんインフレ(希釈化)していきます。まさに「狼少年」状態です。
本当に緊急事態で「待って!!」と叫んだとき、誰も振り返ってくれなくなる……なんてことはないでしょうが、少なくとも私のタイムラインでは、「え、待って」は「あ、はいはい」というスルーの対象になりつつあります。
結論:動詞としての進化を受け入れるか
この言葉に違和感を抱くのは、私たちが「言葉の本来の意味」に拘泥している古い人間だからかもしれません。
英語の “Wait, what?"(ちょっと待って、何?)に近いニュアンスだと捉えれば、これはグローバルな言語進化の一つとも言えます。
ただ、もし本当に誰かに話を聞いてほしいなら、そしてその内容が本当に価値あるものなら、安易な「待って」というテンプレートを使わず、**「立ち止まらせるだけの中身」**で勝負したいものです。
……と言いつつ、私もいつか使うかもしれません。 「え、待って。この記事、意外と確信突いてない?」と誰かが言ってくれるのを期待して。