Jurnal2026/04/12
事実よりも「嘘」が愛される理由。情報の虚構性が持つ引力
事実は普通すぎて反応できない。なぜ私たちは、嘘かもしれない「虚構」にこれほどまでに惹きつけられてしまうのか。
こんにちは、さししです。
SNSを見ていると、時々「これ、本当なのかな?」と思うような刺激的な情報が流れてきますよね。 文春のスクープや災害時の真偽不明な情報など、事実かどうかよりもその情報の「虚構性」や「意外性」に、私たちはつい反応してしまいます。
実は、事実は往々にして「普通」で「つまらない」ものです。 だからこそ、私たちの脳は事実をスルーし、ドラマチックに脚色された「虚構」に強い刺激を感じてしまう。 嘘だとわかっていても、あるいは嘘かもしれないと疑っていても、その引力には逆らいにくいのが人間の性なのかもしれません。
インプレッションを稼ぐために「盛る」文化が加速する中で、私たちはますます「虚構」の中毒になっていく。
で、自分はどう思ったか?
これからは、情報の真偽をジャッジする力よりも、「なぜ自分はこれに反応したのか?」という心の動きを客観視する力が必要になる気がしています。
反射的にポチる前に、一呼吸ついて「あ、今自分は虚構の引力に引っ張られてるな」と自覚すること。それが、情報の波に飲み込まれないための自分なりの防波堤になるはずです。